京都地方裁判所 昭和23年(ワ)476号 判決
原告 曾根慧純
被告 岡本慈航
一、主 文
原告が香川縣小豆郡坂手村甲第五百八十九番地所在観音寺の住職なることを確認する。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、訴外観音寺は京都市右京区御室仁和寺を本山とする眞言宗の寺院であつて以前御室派に属し原告は昭和九年七月二十三日同寺の住職に任ぜられて今日に至つている。さて眞言宗には從來十派十本山があつたが、大正十四年中、御室、大覚寺、高野の三派が合体して古義眞言宗を結成して八派十本山となつたので、観音寺も御室派に随伴して古義眞言宗に加入し、同派に所属していたところ、戰時中政府の統合的方針に基き昭和十六年三月三十一日宗教団体法の規定に準拠して八派十本山が合同して眞言宗の一宗となつた。その後終戰となるや眞言宗は昭和二十年十二月二十四日第七次臨時宗会において宗教団体法および関係法令廃止の趣旨に鑑み、宗団機構の徹底的民主化を期せんがため、翌二十一年二月二十八日限り解散すべき旨の決議をなし、その後右決議を実行した結果、眞言宗所属の寺院はすべて宗派に属しない寺院となり観音寺もまたいわゆる單立寺院となつたのである。
然るところ眞言宗御室派は眞言宗の解散後昭和二十一年三月四日新たに設立登記をなして成立したものであるが、観音寺はいまだ同派に加入していない結果として大本山仁和寺の末寺ではあるが御室派の所属寺院ではなく依然宗派に所属しない單立寺院である。然るに被告は眞言宗御室派管長なる資格において昭和二十二年一月八日突如右観音寺の住職たる原告を御室派の宗規に則り罷免し、同日訴外宮崎忍海を同寺の後任住職に任命した。然しながら観音寺は前記のとおり眞言宗解散後單立寺院となつたのであり、もとより御室派所属の寺院ではないから、被告は御室派管長として、同宗派の宗規に則り観音寺の住職を任免する権限を有しない、從つて右住職任免行爲はいずれも無効なるに拘らず訴外宮崎は擅に観音寺の寺院主管者たる旨の登記をなし、爾後同寺にあつて原告を排して寺務を執るに至つたので、原告は被告に対して原告が観音寺の住職なることの確認を求めると述べ、被告主張事実中原告の以上及以下の主張に於て認むる以外のものは総て之を否認し、眞言宗御室派は法人設立の登記をなした昭和二十一年三月四日に成立したものである。蓋し登記は成立要件であり、仮りに然らずとして登記前に所謂非法人宗派ありとするも、文部大臣の認可がなければその存在を認め得ない。從つて眞言宗御室派が右登記以前に、すなわち合同眞言宗の解散と同時に非法人宗派として成立したという如きはこの点からあり得ないことである。然るところ、一体寺院がある宗派に所属するにはその宗派に加入申込の手続を必要とするのは勿論であつて観音寺はいまだかつて新生御室派に加入申込の手続をしたことはない。被告は昭和二十一年三月二十日頃原告に対して「今般眞言宗御室派設立につき必要あるを以て別紙加入届提出送付相成度」旨の書面と眞言宗御室派管長岡本慈航宛「眞言宗御室派加入届」と題記した印刷加入届用紙を送付し、同派に加入を勧誘してきたが、当時原告は加入の意思がなかつたので、これに應ぜず、加入届出をなさずして右勧誘を拒絶したのである。然るに被告は同年五月中擅に観音寺を御室派所属寺院として登記し、原告に対しその旨通知してきたが、原告は既にその約二ケ月以前、前記加入の勧誘に應ぜず拒絶の意思を明かにしているので右通知を黙殺した次第である。又原告は仁和寺の末寺住職として昭和二十一年一月二十一日訴外森諦円を仁和寺末寺総代会の末寺総代に選挙したが元來本山と末寺との本末関係は歴史的関係であつて宗派関係とは截然区別して考えねばならない。両者は全く別個の関係であり別異の観念である。然るところ大本山仁和寺末寺総代会規則には「時局の回轉に伴ひ大本山仁和寺の経営並に重要事項の処理は本末の創意に基き執行するを適当と認め本規則を制定し之を施行す」(同規則第一條)「総代会は本山事務所提出の議案を審議決定する総代は本山の経営其他重要事項に就き三名以上の賛成を得たる時は議案を提出することを得」(同規則第四條)とあつて末寺総代会の目的と本格的使命は右規則に明定されている。そして末寺であり総代選挙人たる原告は別に議案を示して総代選挙の申入れを受けたのではないから右総代会においては右規則に從い本山仁和寺なる一寺院の経営につき又は同寺院の重要事項の処理につき会議するものなることを信じてこの趣旨において自己に代つて会議に列席審議すべき権限を訴外森諦円に委したのである。然るに第一回大本山仁和寺末寺総代会議事録(乙第十四号証)によれば右末寺総代会は昭和二十一年一月二十二日より同月二十四日に亘つて開会せられ同会において仁和寺門跡は「本職は第七次宗会の決議に依り新に眞言宗御室派を設立し宗制宗規並に大本山仁和寺寺法等必要なる諸規則を制定し昭和二十一年三月一日を期し、新宗派の独立運営を爲すべく必要なる諸般の提案を爲すに至る」と告諭し同会議において仁和寺寺法眞言宗御室派設立のことを決議し、又眞言宗御室派宗派規則(乙第十五号証)によれば右仁和寺末寺総代を便宜眞言宗御室派宗制による宗会議員と看做し、同会議において眞言宗御室派宗制を定め、その第九十八條において「同宗制施行の際既に大本山仁和寺の所属末寺住職兼務住職教会主管者は本宗制により任命せられたる住職兼務住職及教会主管者と看做す」と規定している。然しながら原告が総代を選挙したのは、前記の如く大本山仁和寺なる一寺院の経営につき又同寺院の重要事項につき会議すべきものと信じて選挙したのであるから、前記決議は選挙人たる原告の意思とは何等関係なき参加議員等の越権行爲であり、原告等選挙人の適法な授権行爲によらない行爲であるから原告が右決議に拘束せられる理由はない、合同眞言宗第七次臨時宗会における第七号議案についての決議が被告主張の如く合同眞言宗の解体即非法人宗派としての眞言宗御室派の成立であり、その間に寸毫の空隙も存しないと解するのが不当なことは前に触れたとおりで、合同眞言宗の解体即解散は即合同眞言宗の無であり、これは又同時に同宗派所属寺院の同宗派よりの離脱である。故に合同眞言宗を離脱したる寺院並にその主管者及檀信徒は、自由なる意思の下に爾後の宗教的動向すなわちその欲する宗派に加入するも又加入せざるも可であつて、敢て他人に拘束せらるべきでない。しかしながら仮りに合同眞言宗の解散即各派流の宗派としての成立であり、前記解散決議にいう分派還元なる趣旨が合同眞言宗の解散と同時に各派流が当然にその所属寺院、僧侶、檀信徒を包括して宗派(非法人宗派)として成立するというのであれば、元來眞言宗は昭和十六年中古義眞言宗、眞言宗豊山派、眞言宗智山派、眞言宗善通寺派、眞言宗醍醐派、眞言宗東寺派、眞言宗泉涌寺派、眞言宗山階派の八派が合同結成したもので、古義眞言宗はこれより先、大正十四年中大本山金剛峯寺、大覚寺、仁和寺の三大本山により結成せられた一宗派であるから、大本山仁和寺は眞言宗結成当時古義眞言宗所属の一寺院で独立の一宗派ではなかつた。從つて右決議により眞言宗結成当時の派流たる古義眞言宗に還元するは格別、眞言宗御室派に還元することはない。情理よりこれを見るも、旧御室派は大正十四年中他宗派と合同して古義眞言宗を設立したのであるから、既に約二十二年前にその独立性を失い昭和二十二年十二月当時においては、旧御室派の存在乃至宗制を知らない者が少くない実情である。かゝる事情の下において仁和寺の末寺一般を当然旧御室派に還元所属させるという如きは極めて不合理であるといわなければならない。仮りに然らずとするも元來眞言宗第七次臨時宗会は同派解散後における末寺の宗教的動向を決議すべき権限はない。しかも、かゝる事項について同宗会に列席決議せる公選議員に対し、これを選挙した一般末寺の住職は何等の代理権を授與したことはない。從つて右決議中眞言宗の解散に関する部分はさておき、いわゆる分派還元なる解散後における末寺一般の宗教的動向に関する部分は同決議に参加していない一般末寺に対しては無効である。仮りに然らずとするも、右決議は旧憲法第二十八條によつて末寺関係者の有した信教の自由を侵害し且つ宗教団体法によつて末寺の有した轉宗轉派の自由を剥奪したものであるから法律上無効であると述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として原告主張事実中訴外観音寺がもと眞言宗御室派所属の寺院であつたこと、原告が昭和九年七月二十三日右観音寺の住職に任ぜられたこと、眞言宗御室派管長たる被告が昭和二十二年一月八日原告主張の如き観音寺住職の罷免並に任命処分をなしたこと、眞言宗には從來十派十本山があり大正十四年中、高野、御室、大覚寺の三派が合同して古義眞言宗となつたのでその後は八派十本山となつていたこと、昭和十六年三月三十一日に前記八派十本山が合同して眞言宗となつたこと、眞言宗は原告主張の宗会において議案第七号に関する決議をなし、昭和二十一年二月二十八日これを実行したことはこれを認めるが、その余は次の被告主張において認める部分を除き、すべてこれを否認する。すなわち(一)眞言宗第七次臨時宗会の決議の趣旨は一挙一律無條件平等に全国一万二千有余の同宗所属寺院をいわゆる單立寺院とするものではなく眞言宗統合の経緯に鑑みその統合母体たる十総大本山(総本山教王護国寺、総本山金剛峯寺、大本山仁和寺、大本山大覚寺、大本山醍醐寺、大本山泉涌寺、大本山勧修寺、総本山善通寺、総本山智積院、総本山長谷寺)の各流派毎にその所属寺院、僧侶、檀信徒を包括して分派還元せしめんとするもので、眞言宗御室派は眞言宗の解体と同時に成立したものであつて換言すれば眞言宗の解体即御室派の成立である。原告主張の昭和二十一年三月四日は設立登記をなした日時で非法人宗派としての御室派の成立は眞言宗解散の瞬間に遡る。そして右宗会の決議に基き各派流所属の寺院はその流派より離脱の意思を表示しない限りは、当然その派流に随伴してその流派の独立した宗派に所属することになるのである。(二)眞言宗の統合結成に加盟したのは、古義眞言宗としてではなく、古義眞言宗に加盟していた三派、すなわち高野派、御室派、大覚寺派としてそれぞれその派流の姿において眞言宗に統合したのである。從つて旧御室派が古義眞言宗の結成により独立性を失つたとしてもそれは單に一宗派としての形式上存在しなくなつたに止まり、その本質的傳統的な法流(仁山法派)は嚴存している。およそ独立性には二義あつて派(宗派)のそれと流(法流)のそれがあり、派(宗派)より流(法流)を重しとする。派(宗派)は宗政の運営その他便宜方便により離合することがあつても流(法流)は宗教宗派の本質にして歴史、傳統、信仰の理念、感情の中核をなす本尊本体であるから便宜や方便で如何に必要であつても合同も合体も統一も本質的には不可能である。かゝる事情の下において大本山仁和寺の末寺として仁山法流を信仰し、親子の如き関係にある子たる寺院が親の家たる御室派に親と共に復帰するのは積極的な反対規定又は意思表示のない限り当然である。(三)眞言宗第七次宗会はその解散決議においてその解散後における末寺の宗教的動向を決議すべき権限がある、右議案は管長が宗制に基き必要と認める重要事項の一つとして提出したものである。右議案の本旨は解散そのものよりも各流派の独立自営復帰還元にあつたのであるが、しかもそれは二にして一、一にして二、すなわち不即不離の関係にある。仮りに然らずとするも、既に解散決議権がある以上、その前後措置たる解散後における末寺一般の各所属派流への還元を決議し得ぬ筈はない。仮りに宗会議員において末寺の代理権限なしとするも代理権ありと信ずべき正当の事由があるから表見代理の法理により眞言宗そのものに対して決議の無効を主張し得ない。(四)しかも右決議は法律や憲法に違反する無効のものではない。そもそも信教の自由は住職個人の問題と寺院そのものの問題を区別しなければならない。原告が一個人として信教の自由を有するのは勿論であるが、一寺院の住職として更に仁和寺の末寺たる観音寺住職としてのそれは自ら別問題である。寺院そのもののいわゆる宗教的動向の如きは却つて住職たる原告の單独意思で左右することは許されない。(五)以上被告の主張がすべて理由がないとしても原告は昭和二十一年一月二十一日御室派末寺住職として訴外森諦円を大本山仁和寺末寺総代会規則による末寺総代に選挙し、末寺総会は昭和二十一年二月二十四日眞言宗御室派なる新宗派を結成しこの法人宗派は同年同月二十八日を期して新発足したものであるが、観音寺は森を通じてこれに参加したものであり然らずとするも原告は昭和二十一年五月二十一日御室派宗務所のなした同派所属寺院としての一括登録を黙認し、暗黙の裡に同派に加入したのである。仮りに原告が訴外森諦円を末寺総代に選挙した趣旨が仁和寺なる一寺院の経営並に同寺院の重要事項につき末寺としてその処理に参與する権限を授與する趣旨であつたとしても、御室派の設立並に宗制宗規の制定について代理権ありと信ずべき正当事由あることに帰するから、表見代理の法理により第三者たる御室派に対して決議の無効を主張し得ない関係にある。然るところ観音寺住職であつた原告は自己の立場を忘失し、香川教団の役員となり御室派離脱の非行を敢行せんと企図したため檀徒側は祖先以來、観音寺を大本山仁和寺の末寺御室派所属寺院として信仰し、これを護持してきたことを理由にかゝる檀徒の傳統信仰を維持せられたいと再三勧告したが原告はこれを受け入れずして抗争し、終に観音寺の檀信徒全員の排除を受けるに至つたので被告は御室派管長として愼重審議の結果寺院の本質に鑑み、檀信徒の総意を汲み宗制第七十五條宗規第九号第八條第三項第十條第四項に基いて罷免処分をなしたから原告はもはや観音寺住職たる地位を有しないと述べた。<立証省略>
三、理 由
訴外観音寺がもと仁和寺を本山とする眞言宗御室派の寺院であつたこと、原告が昭和九年七月二十三日適法に観音寺の住職に任ぜられたこと眞言宗御室派管長たる被告が昭和二十二年一月八日原告に対し同派の宗制宗規に則り観音寺住職を罷免する旨の処分をなしたことは当事者間に爭いがない。從つて原告が観音寺の住職たる地位を保有しているかどうかは被告のなした右罷免処分の効力如何に係つているわけであるが被告はこの点に関し、観音寺が処分当時眞言宗御室派に所属することを前提として、原告が合同眞言宗解体以後檀徒の総意に反して観音寺所属宗派の帰嚮を誤るの非行を敢てし、更に檀徒総代の勧告を容れず遂に檀徒一般の不帰依排斥を受けるに至つたので、御室派宗制第七十五條宗規第九号第八條第三項及び第十條第四項に則り罷免処分に付したのであると主張し、原告は先づ右罷免処分の前提を爭い、当時観音寺は一定の宗派に所属しないいわゆる單立寺院となつていたのであるから御室派管長たる被告において、しかも同派の宗制宗規に則り同派所属寺院にあらざる観音寺の住職を罷免すべき権限はなく、從つて右罷免処分は当然無効であると主張するので、右罷免処分の効力を判断する前提として処分当時観音寺が御室派所属寺院であつたかどうかを判断しなければならない。然るところ眞言宗には從來十派十総大本山があつたが、大正十四年中、高野、御室、大覚寺の三派が合同して古義眞言の一宗となつたのでその後は八宗派十総大本山となつていたこと、昭和十六年三月三十一日前記八宗派十総大本山が合併して眞言宗(以下混同を防ぐため合同眞言宗と称す)となつたこと、合同眞言宗は昭和二十年十二月二十四日の第七次臨時宗会において議案第七号に関する決議をなし、昭和二十一年二月二十八日これを実行したことは当事者間に爭がない。
それでは一体右決議はいかなる内容と効力を有したものであろうか、成立に爭がない乙第一号証によれば右決議は昭和二十年十二月二十二日から同月二十四日に亘つて行われた合同眞言宗第七次臨時宗会において第七号議案として上程可決されたもので、右決議文中眞言宗制度変革方針として「一、信教の自由を重んじ近く政府において宗教団体法及関係法令を廃止せらるゝに付本宗は其の趣旨に鑑み宗団機構の徹底的自由民主化を期せんがため現在の統一体制を解散し、各派流の独立自営を認め各々其の性格と特質とを自由に発揮せしめて新日本の建設に邁進し、ひいては世界平和の招來に貢獻し済世利人の祖風を宣揚すること、一、各派流は予め新時代に即應すべき宗制を作成し昭和二十一年二月二十八日を期し各々独立自営し之を其の派内に公示し同年三月一日より新宗制に依り一切の宗務を施行すること」等のことが存するのを認め得る。被告は合同眞言宗の解体即派流の独立自営即眞言宗御室派の成立であり、その間に寸毫の空隙も存しない、換言すれば各派流所属の寺院は右決議の効力として当然その派流に随伴してその派流の独立した宗派に所属することになると主張するけれども、被告の全立証によるも右決議をそのように解しなければならない十分な根拠がない。元來立法政策として宗派に属しないいわゆる單立寺院を認むべきか否かは議論があるが、宗教の自由な発達を望む立場から見れば勿論これを肯定すべきであつて、ただ国家の宗教政策として既成宗教団体の保護と監督を通じてこれを社会統制の一助としようとする立場からは、既成宗団の分裂の危機を招來する虞れのある單立寺院の存在を嫌忌するのは当然である。宗教団体法は正にこのような意味において單立寺院の存在を否定した(宗教団体法施行令第三十條)しかしながら「ボツダム」宣言に宗教自由の確立が明示され、昭和二十年十月四日付連合国最高司令部の日本政府宛覚書「政治的、社会的及宗教的自由ニ対スル制限除去ノ件」が政治的、社会的及宗教的自由の束縛を解放するため、治安維持法その他の法令と共に宗教団体法並に関係諸法規の廃止を指令しこれに基き制定された宗教法人令においては寺院が一定の宗派に属することを必要としない(同令第三條第二項)ことに鑑みると既成の宗教団体から分離独立した寺院はその主管者及び檀信徒の自由なる意思の下にその欲する宗派に加入する自由(もつとも加入申込があつた場合宗派はこれを承諾して自己の宗派に属させることもできるし又それを拒絶することも自由である)及び如何なる宗派にも加入しない自由を保障されていると解しなければならない。從つて合同眞言宗の宗会において宗教団体法及関係法令廃止の趣旨に鑑み宗団機構の徹底的民主化を期せんがため」なされた右決議の趣旨は矢張り原告の主張するように合同眞言宗の解体即解散即合同眞言宗の無であり、これは又同宗派所属寺院の同宗派よりの離脱であつて、同時にそれ以上の意味も拘束力も有しないものと解するを相当とする。蓋し前記第七号決議は元來合同眞言宗解散の曉其の所属寺院を單立寺院に帰せしめることを所期したものでなく十派に還元せしめる趣旨であつたことは明かであるが、其の議案の文言は到底之を被告主張の如く合同眞言宗解散当時の所属寺院の全部を解散と同時に当然十派に還元せしめるものとは解し得ないのであつて、寧ろ旧各派の独立自営及各寺院は統合前の旧各派(但し八派でなく元の十派)に所属すべきことを決議したものであるから仮りに其の決議が所属各寺院を拘束するとしてもその拘束のしかたは被告主張の如き物権的なものでなく、債権的なもの即ち旧十派は夫々新に宗派を結成すべく各寺院は決議当時所属した合同眞言宗の自治規律の統制を受けて解散の曉は夫々以前所属した旧十派のいづれかに所属すべき義務を負うと云う意味を有するに過ぎない。乙第十八号証第九項によれば文部当局はこれに反する解釈であるがこれに從うことを得ない。而して決議後解散の効力発生迄に宗教法人令が施行され同令は寺院の宗派への必要的所属を認めず宗派への加入脱退は専ら其の寺院の(主管者及檀徒総代の)意思の決定に任したので同令の下に於ては観音寺の負担した旧御室派の再生に加入すべき義管は之を強制すること能わざるに至つたからである。
もつとも成立に爭がない乙第十号証と証人岡田戒玉の証言を綜合すれば合同眞言宗は戰時政府の宗教政策としての統合方針により結成せられたものである結果として、その統合結成後においても宗制上十派十本山の各派別の本末および所轄関係を温存し、これを派流と称し(宗制第百十七條)、合同眞言宗所属の寺院、僧侶等はいづれかの派流に属していたこと、宗会を構成する特命および公選の議員はいづれも各派流毎に選出する規定になつていたこと、寺院住職の任免、その他重大事項についてはその寺院の所属する派流本山住職の承認を要する規定になつていたこと、換言すれば眞言宗十派十本山は合同眞言宗結成後はもとより独立の宗又は派たる存在形式を有したものではないが派流と称し、相当強固な統轄関係を有する団体を形成していたこと、法社会学的表現に從えば合同眞言宗なる集団内における部分社会をなしていたことを認めることができる。しかしながら元來或寺院が或本山の末寺たることは歴史的な事実上の関係であり、其の寺院が或宗派に所属すると云う法律関係とは全然別個の観念であり信教自由の精神から既存の宗教団体より分離独立せる寺院をその意思に基かずして一定の宗派に帰属させることが許されない以上從つて本山と雖も-元來宗教法人令には本山というものを認めていない-自己の加入している宗派に末寺をその意思に基かずして加入させることができない以上右決議の各派流への分派還元に関する趣旨は各派流が昭和二十一年二月二十八日を期して宗派として独立自営し、その性格と特質とを自由に発揮して行かうという將來の指針を決めた、いわば宣言的なもので、その実現その具体化は今後の手続の進展に俟つべきものとみるのが正しいと思う。勿論非法人宗派の存在は可能である。宗教法人令による登記は法人格の取得要件であつて非法人宗派としての成立とは区別して考えなければならない。蓋し非法人宗派とその存在は社会的に存在する関係であり、法人格とか監督官廳の許可の如きはかくして社会的に存在するものに向つて国家の與える法律的取扱に過ぎないからである。そして合同眞言宗の宗会における決議によつて一定の宗派の非法人としての成立、ある寺院の当該宗派への帰属という具体的権利関係を設定することが不可能であるのではないが、そのためには所属各寺院の意思が直接具体的に、個別的に宗派即ち宗教上の結社設立への同一方向に表明せられ、かくて講学上所謂合同行爲が成立する必要がある。然るに前記第七号決議は只指針又は綱領の大要を定めたに止り斯る結社設立行爲を爲したものでないことは既に述べた通りであるから、被告の右主張は到底之を認め難い。次に被告は仮に第七号決議による当然所属が認められぬとしても原告は昭和二十一年一月二十一日訴外森諦円を仁和寺末寺総代に選挙し同人は総代会に出席し眞言宗御室派設立行爲に参加しているから観音寺も御室派所属の一寺院となつたと主張する。
しかしながら宗派関係と本山末寺の関係とは別個の観念であつて本來本末関係という制度は徳川時代の遺物であり、歴史的観念であつて宗教法人令には本山ということは認めていない。宗派管長には本山の住職が就任する場合が多いから宗派関係即本末関係と混同され易いが宗派は多くの寺院や教会等が集つて結成している包括的宗教団体であつて本山はその宗派の一構成分子に過ぎない。又もとより本山の加入している宗派に末寺が必ず加入しなければならないという法規はない。さて成立に爭がない乙第十一号証によれば、仁和寺末寺総代会とは末寺総代十五名をもつて組織し(大本山仁和寺末寺総代会規則第二條)「大本山仁和寺ノ経営並ニ重要事項処理ハ本末寺ノ総意ニ基キ執行スルヲ適当ト認メ」設置されたものであること(同規則第一條)及び昭和二十一年一月二十五日の末寺総代の選挙については別に議案を示して選挙告示をなしたものでないことが明かである。然るに成立に爭がない乙第十四号証、同第十五号証と証人宮崎忍海の証言(第二回)によれば右末寺総代会において仁和寺門跡は突如「本職は第七次宗会の決議に依り新に眞言宗御室派を設立し、宗制宗規並に大本山仁和寺法等必要なる諸規則を制定し昭和二十一年三月一日を期し新宗派の独立運営をなすべく必要なる諸般の提案をなす」旨告諭し且つ仁和寺末寺総代を眞言宗御室派宗制による宗会議員と看做して眞言宗御室派宗制を定め同宗制は「本宗制施行の際既に大本山仁和寺の所属末寺住職兼務住職教会主管者と看做す」(同宗制第九十八條)と規定していること及右宗派規則書に本山仁和寺、法輪寺、廣隆寺、蓮花寺各主管者が設立者として署名していることが認められる。
從つて新御室派設立行爲は一應右宗派規則書に署名した四寺院により爲されたと認むべきである。尤も証人宮崎忍海は其の第二回証言に於て右末寺総代会で新御室派設立の決議が爲されたと供述しているが、其の議事録(乙十四)によつては果して万場一致の決議であつたか或は多数決による決議であつたのか明かにし得ない。仮にそれが万場一致又は少くとも観音寺を代表している森諦円は之に賛成の決議をしたものであつたとしても元來末寺総代会なるものは大本山仁和寺の経営並に重要事項の処理を其の任務となすものであり、此の会が本來の任務たる本山仁和寺に関する事項と認むることの出來ない御室派なる新宗派の設立を議決するが如きは其の本來の権限を踰越し到底之を適法のものと認め難い。尤も新宗派に所属することを予定された各末寺が夫々自己の自由意思に基き新宗派設立なる合同行爲が爲されたならば其の行爲が何時如何にして爲されたかは問うところではないが、それが爲には各末寺に対し少くとも集会が新宗派設立の目的の爲に招集されるものなること、新宗派の基礎綱領等を通知し末寺主管者をして檀徒総代に諮り其の向背を決定せしめた上でなければならぬ。斯る手続を経ずして末寺総代会を突如として新宗派結成の爲めの集会とし此の集会に於て新宗派の設立が決議され且観音寺の代表者たる森諦円が之に賛意を表したとしてもそれを以て直に観音寺の新宗派への参加を締結することは出來ない。蓋し末寺総代会の目的が前記の如く仁和寺の事項に関する限り之に総代を派した末寺は只其の事項に関してのみ総代に対し授権したに止り其の以外に亘る事項に関しては何等の授権もなかつたものと推定すべきであるからである。当時既に前記合同眞言宗会に於ける第七号決議があり分派還元の根本方針は定められていたのであるから末寺総代会に於て或は御室派結成と云うことのあるかも知れぬと云うことは予期し得べき状態にあり、斯る状態にあつた場合に自己の総代を総代会に派した以上其の総代会に於ける総代の行爲の効力を後日否定することは出來ぬと云う反対論は極めて早計杜撰且危險であり、観音寺の御室派加入と云う如き重大事に付き其の明確な授権に基かない処置は之を観音寺に帰せしめることは出來ないこと明白で、斯る反対論はとるに足らぬ。思うに仁和寺の当局者が末寺総代会規則を定め又は総代選挙告示を爲し其の際此の総代会が何の爲めの総代会なるかを明にする機会を持ち乍ら強いて之を明にせず前記の如き御室派設立の経過をとつたことは万事異状の変革期にあつた終戰直後の時期に於て末寺の中には新宗派の設立加入に必しも潔しとしないで動搖を示しつゝあるものもあつたのを一挙に新宗派にうやむやの中に收容し既成事実を作りあげようとする意図のあつたことも看取し得るのであり、此の様なことであれば右の措置は宗教法人令の精神からしても適法のものと爲し難く、之を要するに宗教法人令の下に於ては各寺院は其の意思を以て或る宗派に加入すると否との自由を有するのであり、本件に於ては観音寺住職たる原告が檀徒総代の承認を得て御室派に加入する件を森諦円に委託し其の代理権を授與したと認むべき証拠がないから観音寺が御室派に加入したとの被告の主張は所詮失当である(尤も右決議当時観音寺は未だ合同眞言宗に属するが之に属するからとて新宗派加入に付き最少限度寺院主管者と檀徒総代の意思の合致を要することに何等の相違を見ない。)。被告は仮に森諦円が観音寺を代理する権限を有しなかつたとしても原告は表見代理の法理により其の決議の無効を第三者たる御室派に対し主張し得ないと云うが、元來表見代理制度の基礎は近代財産法の法領域において取引の安全の保護という目的から意思主義を捨てて表示主義を採るべしという主張に根拠を有するものである。然るに本件のように精神生活、宗教生活に関する場合には行爲者の意思はその者の全人格的活動であり、この意思の否定はその行爲者の全人格的否定となることは身分関係における意思が感情的であり愛著的であり、全人格的なのと同様である。財産法の分野に於てこそ取引安全の保護と云うことは顧慮すべき十分の理由を持つであろうが身分法の分野では意思による身分関係の設定は其の意思の現実の存在が其の制度の存在の根本的な前提要件を爲している。意思表示に関する民法総則の規定中身分法に適用されぬものの多く存するのは之が爲めであつて、身分行爲に関する意思主義は身分関係の本質上必然であるという主張は今日では殆んど法学界の常識となつた感があるが、同様の意味から本件の如き人の信仰生活に関する行爲については表示主義に基礎をおく表見代理の法理は適用がないと解するから、被告のこの点に関する主張はその他の点について判断するまでもなく失当である。又被告は原告は昭和二十一年五月二十一日御室派宗務所のなした同派所属寺院としての一括登録を黙認したと主張するけれども、成立に爭がない甲第四号証の一、二、同第五号証によれば却つて原告は始終御室派に加入しない旨の意思を表示しているものと認め得るから被告の右主張も又失当である。
以上の次第で観音寺は合同眞言宗解散後單立寺院となつたものと解するから同寺院が眞言宗御室派に所属することを前提として被告のなした住職罷免処分はその前提條件を欠くことになり、爾余の点について判断するまでもなく無効たるを免れない。從つてその後に観音寺住職に任命されたと称する宮崎忍海が観音寺につきなした変更登記はこれまた無効である。而して被告に於て原告が罷免処分のある迄は観音寺住職であつたことは之を認め且何等か他の理由で原告が観音寺の住職たる地位を喪失したことについては何等の主張並に立証をしないところの本件に於ては原告は依然同寺院の住職たる地位を保有するものと解するほかはない。然るに被告は原告に対する右罷免処分と同時に訴外宮崎忍海を観音寺住職に任命し同訴外人は原告を排して寺務を執つていることは証人宮崎忍海(第一回)の証言によつて認め得るから原告は被告に対して観音寺住職たることの確認を求める利益を有するものということができる。そこで原告の本訴請求を正当として認容し訴訟費用は民事訴訟法第八十九條に則り敗訴当事者たる被告の負担として主文のとおり判決する。
(裁判官 宅間達彦 前田治一郎 宮崎福二)